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エッセイ 闘病体験記

2.入院から失明まで

私は入院してからそれまでとは見違えるほど食欲が出て、少し太るようになりました。しかしそれは自然にそのようになっていたわけではなく、薬の副作用でもありました。日が経つにつれ顔も真ん丸(まんまる)になってきました。所謂ムーンフェイスというやつですね。それこそ朝・昼・夜の食事が待ち遠しく、お見舞いにもらったカステラや果物なども手当たり次第に口へ運んでいました。今までには考えられないことでした。入院して2ヶ月足らずで10sほど太りました。

人目(ひとめ)には顔色もよく体力も付いてきたように見えていたでしょうが、実際には来る日も来る日も点滴や飲み薬、そして検査検査の毎日で、次第に気分が優れない日が多くなっていきました。
入院してからは視力の良かった右眼にも症状が現れるようになりました。しかし眼の方は一応両眼共に0.7程度にまで視力が戻っていました。とは言っても、今から考えるとそれは一時的に薬の力で見せられていた幻影のようなものだったように思います。それが証拠に私の身体は視力とは反比例して徐々に弱っていきました。

私は12月のある日、いつものように薬を飲みましたが、10分も経たないうちに気分が悪くなって、意識を失い倒れてしまったのです。後で隣のベッドに入院していた患者さんから聞いた話ですが、その方が異変を感じて見てみると、私が全身を痙攣させて白目をむいて倒れたそうです。それから集中治療室に運ばれ、数日は意識が戻らなかったようです。主治医も眼科から小児科の先生に代わりました。そして結局、その病院は3ヶ月ほどで退院することになりました。

当時私の家は、父と祖母も入院していたのですが、それぞれ別々の病院に入っていたため、母の負担も大きく、また私は学校のことも気になり、病院内に養護学校のある父と同じ病院に代わることになりました。そして毎日、私は病院内の学校に通いながら治療を続けました。私にとって、学校で勉強をしている間が唯一心の安まる時間のように思いました。明けても暮れても薬浸けの日々は精神的にもかなりのストレスになっていました。眼の方は治療をしているにもかかわらず、炎症を繰り返し、眼圧が上がり頭痛と吐き気に襲われ、眼底出血等を繰り返して、私の眼は徐々に物の輪郭もぼやけて人の顔さえも判断できなくなっていきました。眼圧が上がると本当に眼と頭が割れそうなくらいで、あまりの痛さにベッドでのたうち回ることもありました。身体はいつも水の中で溺れているようで、呼吸は浅く、まさにアップアップ状態でいつ息が止まるのかと思うほどでした。そしてある時、左肺が自然気胸(ききょう)を起こして呼吸困難となって病態が急変しました。またもや集中治療室へ運ばれるはめになったのです。“自分はもう、生きて帰れないかも知れない”と、その時思いました。しかし死ぬこともできず、生きているのも苦しいという、まさに生き地獄でした。

しかしそれだけで終わらず、それから半年後の高校受験を控えた昭和55年の1月に、私はトイレで腰砕けとなって身動きができない状態になりました。骨はウエハースのお菓子のようにカスカスの状態で簡単に肋骨が4本折れてしまいました。ベッドに担ぎ込まれたものの、そのまま寝たきりの状態となりました。そしてベッドの上で2ヶ月間を過ごすことになりました。食事は勿論のこと、排便排尿も看護士さんのお世話になりました。もはや薬はこれ以上続けることは難しい状況となりました。そして、やがて私の眼からは、天井の蛍光灯の光が徐々に小さく小さくなって、まさに暗雲が太陽の光を遮っていくかのように光を失っていきました。

そして昭和55年の夏、私はついに両眼共に失明してしまいました。発病から2年足らずの出来事でした。

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